難病・心アミロイドーシス・母の病気

心アミロイドーシスの母について

こちらの更新はもういたしません。

ブログへ訪問頂きありがとうございます。

 

母と同じ病気の方々、またそのご家族からのアクセスでしょうか、

 

アクセスが増えているのですが、今後、申し訳ありませんがこちらのブログは更新を停止させていただきます。

 

こちらのブログを削除はしません。

 

こちらのブログを訪問された皆様、今後、辛い時間が訪れるかもしれません。

今後、後悔することもたくさんあるかもしれません。

 

でも後悔しても何も始まりません。

今できることをして、過ごしたらいいのではないかと思います。

 

食べたい物、会いたい人、出来る範囲での望みを叶える、叶えてもらう、

色々ありがとう、感謝の気持ちを伝える、など思いつく事をして見て下さい。

 

皆様の心おだやかに過ごせることをお祈りいたします。

 

私は、家族とともに前へ進んでいきます。

 

2017.01.24

 

闘病・心アミロイドーシス一連の流れ

母が新アミロイドーシスの症状が出てから心肺停止に至るまでの一連の流れをまとめます。

 

2016年 1月

 息苦しくなり、水平に眠れないという。

 

2016年 2月

 心不全ということで普通の内科で入院。

 除水後、3週間程度で退院。

 ※原因は心肥大などの、普通の心不全と考えられていた。

 

2016年 3月

 回復し、近所の公園までぐらいなら歩いていける程度に。

 

2016年 6月

 息苦しさがまた増し、また2月に入院した先で再入院。

 通常の心不全の治療。

 

 利尿剤、減塩など。

 まだ、心アミロイドーシスと診断されず。

 

 病院内のトイレまで自力で歩ける。

 

2016年 7月上旬

 利尿剤、減塩、心不全の通常の治療をするも、症状が悪化し大きな病院に転院。

 

 トイレは病室に。

 歩いての部屋の移動が困難に。

 

2016年 7月中旬

 心アミロイドーシスかもしれないと言われる。

 腎臓は片方動かず、片方もあまりよくない。

 

 骨髄穿刺の検査

 

2016年 7月下旬

  心アミロイドーシスがほぼ確定

  透析開始。(首から)

 

  部屋の中にあるトイレまで移動できないため、管を通す。

  食欲が少しずつ低下。

 

2016年 8月上旬

  心臓の悪化から血圧がかなり下がってくる。

  ※もともと高血圧だった。

 

  食欲がなくなる。

  寝返りができなくなる。

  食事はアイスクリームやゼリーなど。

  会話もおぼつかなくなるときが出てくる。

 

  --父がお世話になった葬儀会社の方と話をし始めました。

 

2016年 8月中旬

  血圧が上70台まで下がる。

  透析中に血圧が低下し容態悪化、そして心肺停止に。

 

亡くなる二日前、とても親しかった友人が遠方からお見舞いに来てくださり、そのときは意識がはっきりし、会話もしっかりできました。

 

私には一見回復したかのように見えましたが、母はこの時とても気を張っていたのでしょう。

その友人は父が亡くなる直前にも会いに来てくださっています。

 

もしかすると母は何か悟ったかもしれません。

 

次の日から話すことすらままならぬようになりました。

そして、お医者様からは、もって数日だと言われました。

 

看病していた妹は、お医者様から、明日の透析ぐらいが危ないかもと言われていたようです。

 

そしてその通りになりました。

 

以上、亡くなるまでの経過でした。

 

お医者様の言われる余命が亡くなる時期が近づくに連れ正確になっていきました。

 

心アミロイドーシスは脳に特に影響があるわけではないので会話はギリギリまでできます。

 

ですが、体はドンドン蝕まれています。 

 

心の準備、また身の回りのことなども準備をすすめるたほうがよいと思います。

 

葬儀会社とも、母にはそれを知らせず、話をしていました。

 

葬儀は思っている以上に大変です。

父がお世話になった葬儀会社に心アミロイドーシスと判明したあと、弟は話をしにきました。

 

その為、その後のことも滞りなくすすめることができました。

 

心アミロイドーシスと判明されたら色々なご準備を。

 

 

心アミロイドーシスの説明が難しい

母が亡くなってから約半月。

母の家(実家)は今は誰も住んでいませんが、仏壇がまだあり、毎週末に私達兄弟やその家族が片付けに行ってます。

 

なので週末母の友人がお参りに来てくださることもあり、その時よくこう聞かれます。

「どうしてこんなに早く亡くなったの?」

「すごくお元気だったのに。」

 

母の心アミロイドーシスは進行が早く、急に弱くなりました。

 

ウォーキングをしていた頃の母は、ウォーキング仲間の間でも、持久力のある方で、とても元気でした。

 

昨年まで、そうでした。

 

入院した当初もまだまだ元気で、その頃お見舞いに来てくださった母の友人たちは、すぐ退院して戻ってくると思ってらっしゃったようです。

 

私は

心不全の進行がおもったより早く、急に進行してしまいました。」

とだけ説明しています。

 

病名を言っても母と同じ年頃の方々なので、すぐに忘れると思うし、心不全でもあるのでそれでいいかなと思います。

 

症状が出始めたのが今年1月、そして亡くなったのが8月です。

 

色んな方々に惜しまれてなくなった母は幸せだったんだろうなと思います。

 

あとは子供の私達が、恐ろしく散らかっている(父母とも物を捨てることができない性格で掃除すらできないほどだったので汚部屋に近い)実家の片付けにがんばることが残っています。

 

マスクをつけて、焼却炉にすでに2トン以上運んでいます。

 

私の両親は二人共、交友関係が広く見栄っ張りだったので、たくさんの物に囲まれているのを「こんなに持っているんだよ!」とみんなに見せて満足感を得ていた感じがします。

 

片付ける方は大変です。

皆さん、年いったら断捨離です。片付けましょう!

 

最近は寂しさより忙しさ、大変さが上回っています。

第八回・臓器を見せてほしい

心アミロイドーシスは、珍しい病気で症例が少ない。

それは知っていました。

 

この前、母が亡くなった直後、お医者様から

 

死因をはっきりさせるため

また、今後の同じ病気の方のために、臓器を見せてほしい

 

と頼まれました。

 

本当になくなった直後です。

私達子供のみ、お話があるので別室にお願いしますと話を切り出されました。

話を聞いても、亡くなった母の体を切り開くかどうかなんて、すぐにお返事出来ませんでした。

兄弟全員、混乱しました。

 

その時考えたのが、

 

「母ならどうするか?」

 

でした。

 

数分、兄弟で話し合った結果…、どうなったかご想像にお任せします。

 

ただ、このブログを御覧になっていて、ご親族がアミロイドーシスの場合はこういう申し出があるかもしれないと、心に止めておいていただいたほうが、その時が来た時まだ混乱が割けられるかもしれません。

 

どちらを選んでも、少しの後悔はあるかもしれません。

それは仕方ないことだと思います。

 

でもどちらを選んでも、その後、通夜・葬儀、その後の手続と忙殺され、母がいないことを節々で実感します。

 

母がもういない、その事実の前には、その事は些細な事のように思えています。

 

母がなくなった時、家族全員間に合いませんでしたが、看護師等の話で、母は苦しまず亡くなったと聞きました。

そのことは嬉しく思いました。

 

また何か思い出しましたら、記事を書くことがあるかと思います。

 

第七回・母が亡くなりました

8月半ば、母は息を引き取りました。

症状が出てから8ヶ月ほどでした。

通夜・葬儀では、

前に会ったときは元気だったよ?!
どうして?!

と言うような質問を何度かされました。

4月頃までは、普通に一人暮らししてましたし、入院初期も、家族みんな、また元気に帰られると思っていましたから。

アミロイドーシスと見当がついたのが7月。
とても早い最後でした。

透析中に血圧が下がり、そのまま・・・。

妹が透析の前、その危険性がある事も説明をされていたそうです。

ですがむくみがかなり酷く、透析せざるを得ない状況だったみたいです。

亡くなったら後、多発性骨髄腫からアミロイドーシスになり、心臓が弱っていったとお医者様から説明されました。

母はふくよかだったので、遺体も顔がふっくらしていて、まるで眠っているかのようでした。

心アミロイドーシスは珍しい病気ですので、なかなかブログが見つかりませんでした。

なのでこのブログは残しておきます。

何か質問がありましたらコメントいただければと思います。


追記・2016.08.24

病気について思い出したことなどがあれば、また記事をかくと思います。

次回は母がなくなった直後の話について書いています。

第六回・しっかりした会話ができなくなってきた

また週末にお見舞いに行きました。

 

心アミロイドーシスが進行しているからなのか、尿毒症からくるものなのか理由はわかりませんが、母は無気力な感じで、終始ぼーっとしていました。

 

前回とは違い、意欲的な会話を投げかけてくることはありませんでした。

こちらの言っていることはわかっています。

 

例えば、

私「お昼は食べられた?」

母「うん。」

 

私「今日はお昼、何を食べたの?」

母「わからない。」

 

私「看護師さんが食べさせてくれたの?」

母「うん。」

 

私「だるいとか、しんどいとかない?」

母「ううん。」首を軽く左右に動かす。

 

私「妹が夕方に来てくれるよ」

母「うん。」

*------------

自発的に出てきた言葉

「座りたい」

 夫と私がベッドから持ち上げて椅子に座らせてあげました。

(母は大柄で重く、ほぼ夫がしてくれています)

 

「横になりたい」

また夫と私(ほぼ夫)が持ち上げて、ベッドに寝かせました。

仰向け状態

 

「横向きたい」

寝返りができないので、背中を押して横向きにし、毛布をまるめて背中を支えて横向けにしました。

 

「もどして」

毛布を抜いて、仰向けにしました。

 

「枕がずれてる」

枕が少しずれていたので戻しました。

*-------

同じ姿勢でいると疲れるのだと思います。

もう自力で寝返りが打てなくなったので、誰かに頼む他ないようです。

 

母が元気だった頃は陽気でおしゃべりで社交的。

誰とでもよくしゃべっていました。

 

私の夫とももちろんおしゃべりしていました。

次男の出産時は長男の面倒を見にうちに泊まりで3週間ほど来てくれていたので、夫とも親しくしています。

 

「病気は嫌やな…。」

帰りの車で、夫がぼそっと悲しそうな顔でつぶやいていました。

 

でもまだ何を話しているかはわかっています。

近所に住んでいて頻繁に母を見てくれている妹の話だと、それすら危うい時も増えてきているようです。

 

病気の進行が怖いです。

 

第五回・心アミロイドーシスから腎臓が悪くなる

母は心アミロイドーシスで心臓から体中に血液が行き渡りづらくなり、体中の臓器が栄養不足になっているそうです。

 

また肺に水が貯まる胸水の症状もあるので利尿剤も使っていました。

そして特に腎臓がどんどん悪くなり現在透析をしています。

ほぼ尿は出なくなりました。

 

透析は現在、首からしています。

 

月水金と透析をしていますが、透析を受ける直前あたりに母はぼーっとしているそうで、現在そばについて看ている妹が不安がっています。

 

透析をしてしばらくあとは元気になり、会話もしっかりできるのに、次の透析の直前あたりでは、目がうつろで、話しかけても返事があるのは5回に一回程度。それも、短いもの。

腎不全のせいの尿毒症からくるものなのでしょうか?

 

血圧は90台で安定してきているそうで、今度腕からできるようにシャントの手術をすると言われました。

2週間ほどでそこから透析ができるようになるとの事です。

 

また週末にお見舞いにいく予定をしています。

 

母は1ヶ月前までは自分の足で病院のトイレまで歩いて行っていました。

  

2週間前は自分の力でイスに座れました。

簡易トイレを病室においてもらってそこで自力でしていました。

会話も普通に出来ました。

 

1週間前はトイレは出来ず、管を通していました。

普通に会話は出来ました。

首に透析用の管があるのであまり動くことができなくなっていました。

 

 今週末は会話ができるでしょうか。

母と話ができたらいいなと思います。

 

母は70代前半。

まだまだ元気でいてくれると思っていました。

 

こんなに急に悪くなるものなのですね。

ふと涙がこぼれそうになります。